HIS TIME - デロン記事
デロンは高校・大学時代ともにチームで一番人気の選手ではなかったが、
NBAに来て注目される選手になったという記事。(2007-08シーズンの記事)
テキサスのColony High School時代は、ブレイシー・ライト(McDonald All-Americanに選ばれ
デロンと同年のドラフト2順目でMINへ)がチームのスーパースターだったと。
デロン
「ハイスクールでは、自分が全ての賞賛を得ていたわけではなかった。
得点が足りなかったとか何だとか、そういうのだと思うけどね。
でも、それでもチームは勝っていた。それが自分が気にしていたことだ。
多くのコーチが、自分がやっていたことに気付いていたと思う。
ランキングをつけていた人とか、そういう人たちは気付いていなくても」
ちなみに高校3年時はチームは32勝2敗、4年時は29勝2敗。
高校時代のコーチのトミー・トーマスは、
デロンがいなかったらライトも他の選手もそれほど開花しなかったかもしれないと。
トーマス
「デロンの主な役割は周りの選手を良くすることだった。
彼はブレイシーにMcDonald’s All-Americanに選ばれる機会を与えた。
イリノイでは、ディーブラウンとルーサーヘッドにNCAA All-Americansに選ばれる機会を与えた。
ブーザーとオカーはオールスターに選ばれたが、彼らはデロンとプレイする前には選ばれたことがなかった」
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カレッジでは、人柄が魅力のディーとアスレチックなヘッドの陰にいたが、
HCのブルース・ウェバーは、たとえあまり気付かれていなくても
イリノイ成功の原動力はデロンだということを常によくわかっていた、と。
2005年、ディーとヘッドはFirst Team All-Americanに、ウェバーはCOYに選ばれたが、
Final Fourの週末にチームがレストランで食事をしていた時、そのことがテレビで取り上げられていたそう。
が、デロンについては何も触れられていなかったと。
ウェバー
「(そのテレビ番組を見た後)私はデロンを見て考えていた。
トーナメント決勝戦に勝とうとしている時に、セルフィッシュさとか嫉妬はチームに必要なかった。
私はデロンのところに行き、こう言った。
“自分もあれに値していることを君はわかっているだろう。我々が勝っている理由は君だよ”と。
そうしたら、彼ははっきりとこう言ったんだ。
“コーチ、自分が気にしているのはチームがここまで来たということだけだ。
時が来たら、自分に見合ったものが得られるだろう”ってね」
ディーとヘッドがイリノイ躍進の大きな要因ということを否定する人は誰もいないだろうが、
ウェバーは、デロンがコートにいることがチームの成功にどれほど決定的に重要かわかっていたと。
ウェバー
「我々はデロンのおかげで勝てていたんだ。
ディーは彼の性格のために知名度が高く、ヘッドは高い運動能力のために注目されていた。
だが結局、デロンがチームの原動力だった。
彼は注目されることを望んではいなかった。彼が気にしていたのは、チームの勝利だけだったんだ」
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そして、デロンはドラフト3位になったことで「見合ったもの」をやっと得たと。
UTAがSASに90-64で勝った後、デロンについてダンカンがしたコメント
「彼はシーズン中ずっと素晴らしいプレイをしてる。本当に信じられない奴だ。
彼はリーグに来て以来ずっと素晴らしい。
彼がやっていることをとてもリスペクトしているよ」
対戦相手にリスペクトを持たせ、コート上のデロンへの恐れを相手に抱かせるもの、
それは試合終盤クラッチプレイが必要とされている時の彼の振る舞い・態度と気迫だと。
デロン
「(クラッチタイムでは)いいプレイをしても悪いプレイをしても、
落ち着いて冷静でいようと努めている。試合はまだ続いていて終わっていないんだから」
デロンのこの姿勢はNBAに来てからのものではなく、実際Colony HSのファンとコーチたちは、
勝つか負けるかの場面で誰にチームの主導権を握っていてもらいたいかわかっていたと。
トーマスコーチ
「最終学年時には、私はデロンをとても信頼していた。
彼は、私が何を求めているのかわかっていたんだ。
時には私が求める前にわかっている時もあった」
デロンのこの姿勢はカレッジでも変わらなかったと。
ウェバーコーチ
「疑いもなく、彼のこの姿勢がなぜイリノイがBig Tenチャンピオンになり
NCAAトーナメント決勝まで進めたかの理由だ。
彼はプレイを成功させた。
いつも彼が得点したわけではないが、ボールを正しい選手のところに入れたんだ」
ウェバーは、デロンの練習意欲の高さ・チーム練習後の時間が、
彼がNBAスターになれた大きな要因だと言ってる。
デロン
「イリノイでは、とにかく努力を続けた。向上を続けた。
チームの成功のためになることをやり続けたんだ。
PGというものはチームの成績で判断されるが、3年生時イリノイは2敗しかしなかった。
これは自分にとって完璧だった」
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デロンのより若い時を知るこれらの人間にとって、デロンは人間的にも成長したと。
ウェバー
「彼が人間的に成熟できるか、それが私の疑問だったんだ。
明らかに彼は選手として成長した。しかしそれだけでなく、彼は人間的にも成長した。
それを見れてとてもいい気分だよ」
元記事 http://www.nba.com/jazz/features/his_time_DeronWilliams.html
(ウェバーの「人間的に成熟できるかが疑問だった」っていう、この辺の記事を次回)